企業情報


「木島さん、大変なことになりました。後で私の部屋に来て下さい」

 この時のことは、今でも鮮明に覚えています。1996年の1月のことです。当時、私は精神神経センター精神保健研究所というまるで早口言葉に出てきそうな研究所で、流動研究員(「最長で3年しか勤めさせてあげないよ」という意味を含んでいる、ある意味恐ろしい名称です)のバイトをしていました。上司の口調からは、その「大変なこと」とは、何か嬉しいことか良いことであるかのような印象も受けていました。
 上司の部屋にいくと、「木島さんに担当してもらっていたクロニンジャーの理論だけど、遺伝子と関係があるという研究が出てしまった。これから、忙しくなるよ。まずは、1週間でクロニンジャーの理論を紹介する論文を書いて下さい」とのことでした。
 口調はとても丁寧なのですが、まだ、大学院を出たばっかりの研究者のひよっこが1週間で論文を書き上げるなんて、普通は無理です。少なくとも、私には無理でした。何日か徹夜して、なんとか10日くらいで完成させたと思います。上司はその草稿をざっとご覧になって、「うん、これでいい」と仰って、すぐに研究雑誌に載せることが決まってしまいました。そして3月に、既に掲載が決まっていた他の論文と一緒に発表されてしまったのです(後になって、私の書いた草稿にはいくつか凡ミスがあることが発見されてしまいました)。
 研究には、時には、その成果をすぐにでも発表しなければならない、スピードが極めて重要である、ということがあります。今回のケースはまさしくそれで、とにかく、「性格が遺伝子と関連している」という人類史上初めての成果を、何としても早く伝える必要があったのです。私の草稿に凡ミスがあったのは、全く私の責任でしたが、「性格が遺伝子と関連する」という新事実は、我々研究者には大いにショッキングな出来事だったのです。
 実は、心理学でも随分前から、いえ、ギリシャ哲学の時代から考えると何世紀も前から、性格は生理的な何かと関係があるのではと考えられていて、ずっと発見できていなかったのです。ギリシャ時代では、例えば、胆汁が関係あると考えられていたし、血液型が発見されると、これこそ性格と関連するに違いないと研究されてきたのは、ごく自然な流れだったのです。
 しかし、長い間ずっと、研究結果には落胆させられ続けてきました。血液型は勿論、様々な生理指標との関連性の研究がなされてきましたが、あまりぱっとした成果があがっていなかったのです。それが、いきなり遺伝子との関連性が発表されたので、世界中の研究者に、大変な驚きとともに受け止められていったのです。

クロニンジャーのパーソナリティ理論

 それでは、そろそろクロニンジャーの深遠なパーソナリティ理論について、基礎から説明していきたいと思います。最初は、「パーソナリティ」に関わる用語の説明です。まずは、ヒトの個性の全体を表現する用語として、「パーソナリティ」という言葉を用います。そして、このパーソナリティには、「気質」と「性格」の2種類が含まれます。今までは、「パーソナリティ」のことを一般的な用法に合わせて「性格」という言葉で表していましたが、これからは「性格」という言葉には、後述するように異なる意味合いを持たせて用いることにします。


図1.クロニンジャーのパーソナリティ、
気質、性格の概念図(▲クリックで拡大)




(図2)ドーパミン(from Wikipedia)

 さて、クロニンジャー理論では、自分でも無意識に周りの環境に反応してしまう特徴を「気質」、意識的に自分の行動をコントロールしようとする特徴を「性格」と呼びます。かつて、「気質」は遺伝の影響があり、「性格」には遺伝の影響が少ない、と考えられていましたが、「気質」と「性格」の両方とも遺伝子の影響があるようです。大きな違いは、「気質」は無意識による反応であるのに対して、「性格」は意識的な行動であるということと、「気質」は変わりにくいが、「性格」は変わることもあるし、成長しうる、という2点です。この「気質」と「性格」の関係は、図1に示されています。

 「遺伝子と関連性がある」と1996年に発表されたのは、「新奇性探究」と呼ばれる「気質」の特徴のひとつであったのです。「気質」と「性格」を測定する「パーソナリティ質問紙 Temperament and Character Inventory(TCI)」がクロニンジャー博士によって開発されているのですが、この「新奇性探究」の測定値が、脳内の神経伝達物質である「ドーパミン」(図2)の活動に関わる遺伝子と関連があったというのです。
 もともと、クロニンジャー博士は「気質」の特徴として、三つの特性を仮定していました。それは、「新奇性探究」、「損害回避」、「報酬依存」です。その後、「固執」を加え、現在では、気質は四つの特性で構成されています。このうち、「新奇性探究」には、ものすごく簡単に言ってしまえば、車のアクセルに近い特徴があります。新しいものを探して、見つけたらそれに向かって行きやすい人もいれば、逆に、自分のやり方を変えようとせず、とても保守的な人もいるでしょう。例えば、衝動買いしやすい人は、「新奇性探究」が高い、とも言えます。この「新奇性探究」は、マウスなどの研究から、脳内の神経伝達物質であるドーパミンと関連がある、とクロニンジャー博士は当初から考えていました。そして、その理論通りに、「新奇性探究」は、ドーパミンに関わる遺伝子と関連性があったと報告されたのです。

神経伝達物質


(図3) 神経細胞とシナプス(真ん中下の四角と、右下の図がシナプス)(from Wikipedia)
(▲クリックで拡大)


図4.シナプス前細胞(A)から後細胞(B)への神経伝達物質伝達(from Wikipedia)
 ①神経伝達物質が詰まったシナプス小胞
 ②シナプス間隙を拡散する神経伝達物質
 ③後シナプス細胞の受容体
 ④神経伝達物質のトランスポーター
(▲クリックで拡大)

 さて、ここで、少し神経伝達物質について、説明しておきたいと思います。脳の中には、脳内特有の神経細胞が100億個以上もありますが、それらがネットワークを作り、様々な情報を処理し、われわれの行動をコントロールしています。神経細胞同士は、情報を伝えるために、互いに神経突起(軸策と樹状突起)を出し合っています(図3)。ところが、驚くことに、その神経突起でも神経細胞は物理的には繋がっていなくて、シナプス間隙と呼ばれるごくごくわずかの「すき間」があります。図4に見られるのが、シナプスの図です。そして、このすき間を前述のドーパミンなどの神経伝達物質が伝わって、情報を処理しているのです。情報を伝える側の神経細胞から神経伝達物質が放出され、情報を受け取る側の神経細胞にある受容体(あるいはレセプター)に神経伝達物質がくっつくと、何らかの情報が伝達される、という仕組みになっているようです。
 神経伝達物質にはとても多くの物質があるのですが、ドーパミンはおそらく最も有名なアドレナリンの前駆物質(ドーパミンが酵素の働きで、ノルアドレナリンになり、ノルアドレナリンがさらに、アドレナリンになる)でもあります。ドーパミンは、快感、やる気、痛み、驚きなどの情報伝達に関わっているようですが、ドーパミン・レセプターには現在5種類あることが分かっており、おそらくは、その5つのレセプターには別々の機能があるようです。ドーパミン・レセプター1(DRD1)とドーパミン・レセプター2(DRD2)は、統合失調症との関連性もあるのではないかと考えられていますが、気質と関連があると考えられたのはドーパミン・レセプター4(DRD4)で、このレセプターは注意欠陥多動性障碍(ADHD)との関連性が研究されています。このDRD4の働きに関与する遺伝子自体も複数あるのですが、その中で、variable number of tandem repeats (VNTR:繰り返し塩基配列の繰り返しの数)が「新奇性探究」と関連があるとの研究が初めに報告されたのです。
 「新奇性探究」は、前述の通り、車のアクセルに近い特徴があり、ADHDも同様に、すぐに行動を起こしてしまいやすい傾向があります。DRD4との関連性の研究に関しては、「新奇性探究」との研究の方が先に行われたのですが、後に、ADHDとの関連性も研究されたのは、とても自然なことと言えます。
 さて、当初は、VNTRという繰り返し配列の数が、人によって2回から7回あり、繰り返しの数が少ない方が、「新奇性探究」が低く、繰り返しの数が多い方が「新奇性探究」が高い、というような結果が報告されていたのですが、その後の研究によって、単に繰り返しの数の多い・少ないと「新奇性探究」には関連性がないことが分かってきました。ところが、実は、DRD4は、VNTR だけではなく、①DRD4 1217G Ins/Del、②DRD4 809G/A、③DRD4 616C/G、④DRD4 603T Ins/Del、⑤DRD4 602(G)8-9、⑥DRD4 521C/Tなどの遺伝子と関係しており、これらのうち、⑥DRD4 521C/Tの遺伝子多型と新奇性探究には有意な相関があると結論付けられています。世界で最初に、こうしたDRD4関連遺伝子の多くを調べ、DRD4 521C/Tが、「新奇性探究」と関連性があると発表したのは、実は日本人の筑波大学の研究者グループで、同じ日本人として何だか嬉しくなります。

その他の気質と神経伝達物質

 クロニンジャー理論の気質には、他にも「損害回避」、「報酬依存」、「固執」があり、「損害回避」は神経伝達物質のセロトニンと、「報酬依存」は、同じく神経伝達物質のノルアドレナリンと関連性があると当初から考えられています。「固執」に関しては、後から付け加えられた特性なので、クロニンジャー理論では、特定の神経伝達物質との関連性は想定されていません。
 次回は、「新奇性探究」以外の特性の簡単な説明と最新の研究結果について説明していきたいと思います。

 

ページトップへ