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ウィーテケのエメラルドの帯 《オランダ人への旅 III》 吉屋 敬 見果てぬ夢 私がウィーテケをインタビューしたのは二〇〇三年の新年、ハーグの画廊でのこと だった。そこには彼女の陶器の絵付け作品と夫テオの絵画作品が一緒に展示されてい た。テオはもともとは画家だったが、心理療法医の資格を取って長年医師として患者 の治療に当り、二足のわらじを履き続けてきた。ごく最近定年に達して医師業を辞め、 本来の画業に専念できるようになった。ウィーテケが芸術家としてスタートした頃、 テオは彼女の先生でもあった。そしてこの三十年、テオはいつも彼女の側にいて見守 り、何事においても最上のアドバイザーであり続けた。
テオの優れた指導に加えてウ ィーテケ自身の持ち前の才能で、画業に手を染めて間もない一九七五年に彼女は早く もハーグの由緒ある芸術家協会の会員に選ばれている。私が七十年代にどこかの画廊 で見た作品は、百号くらいの大画面だった。人影の見えない青い叢の上に散らばる無 数のタバコの吸殻を描いた作品で、フィルター部分に残る赤い口紅の跡と草の若緑と が、妙に生々しいコントラストを生んでいたのが今でも印象に残っている。現在のウ ィーテケの作品は古い写真を使って合成した混合技法のものや、白地に黒や青の釉薬 で細かい絵付けを施した陶器が主流を占めている。そのいずれもが、インドネシアの バティックの絵柄を思わせるものが多い。
ウィーテケの女優としてのキャリアは華々しい。一九六〇年代初めにニュー・コメ ディーでデビューして以来ほとんど休むことなく舞台や映画、テレビと出ずっぱりで ある。オランダ国内だけでなく、他のヨーロッパ諸国やカナダでも数々の国際的な賞 を受賞している。「時計台」という、現在も出演している 二十五年間ロングランを続けている子供番組は数え切れないほどの内外の賞を獲得し ているが、これもウィーテケに負うところ大である。 この他にレコード、CDの賞な ど枚挙にいとまがない。こうした業績が高く評価され、一九九九年には五十六歳の若 さでオラニエ・ナッサウ騎士勲章を授かっている。 芸術の世界の活躍も華々しいもので、一九七五年にはニューヨークの国際ビエンナー レのヤング・アーティスト部門に出品し、七七年にはモンテカルロの現代美術展でグ ランプリ、一九八〇年にはベルギーのオステンデで銅メダル獲得という記録が並んで いる。天は彼女にいくつもの才能を与えたのだ。 画廊でのインタビューの帰りに、ウィーテケの家に寄ると、先客がいた。マーガレッ トというアメリカ人のライターで、私同様にウィーテケについて書くつもりでアメリ カから取材に来たと言う。彼女は以前オランダでウィーテケの近所に住んでいて、二 人は旧知の間柄だった。マーガレットがかつて結婚していたオランダ人の夫は東イン ド出身者で、日本軍の抑留体験者だった。彼を苦しめ続けた抑留時代のトラウマにマー ガレットは直面し、疲れて別れた。ここにももう一つの東インドにまつわるドラマが あったことを私は知った。 第二次世界大戦と東インドを核にして、複雑に入り組んだかつての加害者と被害者 の女たちが、ウィーテケを囲んで同じテーブルに座っている。ほぼ同年齢の国籍の違 う三人の女たちの上を流れた六十年は歳月に漂白され、不思議な懐かしさと親しさだ けが部屋を支配していた。 私は、ウィーテケをインタビューするまで、旧植民地出身の有名な女優くらいのこ としか知らなかった。そしてインタビューを終え数多い資料を渉猟して分ったことは、 彼女の東インド人としてのアイデンティティーと母国東インドへの深い思いだった。 そしてウィーテケの根強い人気の陰に見たものは、オランダ人の心底深く眠る植民地 への郷愁だった。ウィーテケのレパートリーの一つに「母国から祖国へ」と題する歌が あるが、これは母国東インドから祖国オランダへ帰還した人たちの共通の認識なのだ ろう。 今やオランダ人にとって、〔エメラルドの帯〕は見果てぬ夢となってしまった。し かし、ウィーテケによってかつての夢の母国は取り戻され、彼女のショーを観る人た ちの中に一時旧蘭領インドは復元されるのだ。そしてこの東インド無くして、今日の ウィーテケもあり得なかったに違いない。
〔東インドとの別れ〕 美しい〔エメラルドの帯〕をオランダ人が失って、かれこれ六十年が経つ。
写真資料提供:Wieteke van Dort |