余白指示

ペトラルカ=ボッカッチョ往復書簡

ルネサンス交友録

(10-3)

近藤恒一(こんどう つねいち ルネサンス思想史・文芸史)

SPAZIO誌上での既発表の章 目次

  1. (はじめに)/未完の文通・・・・・・・・・・・・・No.53(1996年 7月発行)
  2. フィレンツェの出会い――そして都ローマから・・・・No.54(1996年12月発行)
  3. 放浪の詩人と母国フィレンツェ・・・・・・・・・・・No.55(1997年 6月発行)
  4. 友情の危機――詩人のミラノ居住をめぐって・・・・・No.56(1997年12月発行)
  5. 古典の探索と収集・・・・・・・・・・・・・・・・・No.57(1998年 6月発行)
  6. 自著の交換・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・No.58(1999年 4月発行)
  7. ダンテをめぐって・・・・・・・・・・・・・・・・・No.59(2000年 3月発行)
  8. キケロからホメロスまで・・・・・・・・・・・・・・No.60(2001年 3月発行)
  9. 中世文化の継承・・・・・・・・・・・・・・・・・・No.61(2002年 4月発行)
  10. 精神的危機(次号へ続く)・・・・・・・・・・・・・No.62(2003年 4月発行)
    精神的危機(承前)・・・・・・・・・・・・・・・・No.63(2004年 4月発行)

X.精神的危機(その3)

文学研究をめぐって

老境と文学研究

 これ〔詩学研究の禁止〕はぼくにとって、第一の予言〔ボッカッチョが間もなく死ぬという予言〕よりもはるかに大きな驚きでした。これがいわゆる年寄りの初学者にたいして言われたのであれば、ぼくも平静な心で耐えられたでしょう。「きみは年老いて、すでに死が近い。魂のことを考えたまえ」。
 文学研究は、文学とともに[よわい]をかさねてきた老人にとってはこれほど甘美なものはありませんが、新しい不慣れな仕事として老人に課せられると、時期はずれのつらい仕事です。
 「だから、こんな時期遅れの研究は捨てたまえ。ヘリコンのムーサ〔学芸の女神〕たちやカスタリアの泉はあきらめたまえ。若者にはふさわしいが老人にはふさわしくないことも、たくさんある。きみの努力はむなしいだろう。あたまはにぶり、記憶はぼやけ、目はかすむ。からだのあらゆる感覚がにぶり、もはや新しい骨折りには耐えられまい。きみの力を自覚したまえ、そして企ての重さを[はか]りたまえ。無益な企てのうちに死んでしまうことのないように! むしろ、〔年齢にかかわりなく〕つねに有益なこと、そしてどの年齢にもふさわしい立派なことで老年にはとくに必要なこと、これをなしたまえ」。
 このような忠告は、年寄りの初学者に言ってこそ、重みのあるすばらしいものではないでしょうか。なのに、すでに学識も分別もある人物にむかって、なぜ言わねばならないのか、わかりません。むしろ、こう言うべきでしょう。
 「きみはすでに死に近い。世俗的心労をすてたまえ。悦楽の残滓[ざんし]を払いすて、悪しき習慣をのがれ、魂と生きかたを神によろこばれるように革新したまえ。それから、つぎつぎに再生してくる悪徳、これをきみは今日まで、むしりとっていただけだが、いまこそ根こそぎ抜きとりたまえ。まづ第一に貪欲の情念を。この悪徳は、ふしぎなことに、なぜか老人にはとくに根づよく取りついているのだが、まづ第一にこれを抜きとりたまえ。――このようなことだけに努力し、これだけを思いたまえ。そうすれば心の準備ができて、安全に,死に臨むことだろう」。
 これこそは、おもうに賢明な最良の忠告です!
 なのに「文学をすてよ」とは! 韻文学であれ、その他どの種の文学であれ、きみはすでに文学に老熟していて初心者ではありません。文学から何をうけとり何をしりぞけるべきかを熟知していて、いまや文学には労苦ではなく人生の楽しみや愉楽が宿っています。なのに「文学をすてよ」とは、あきらかに、老境から慰めや支えを奪いとることでなくてなんでしょうか。

 

古人と文学研究

 こういうことがもしラクタンティウス(18)に言われていたなら、いったいどうでしょう? アウグスティヌスに言われ、信じられていたなら、どうでしょう? ぼくの思うところを率直に述べましょう。――ラクタンティウスは異教の迷信の基盤をあれほど効果的に掘りくずしはしなかったでしょう。アウグスティヌスも自著『神の国』の城壁をあれほど巧みに築きあげはしなかったでしょうし、ユリアヌス(19)その他の異端・邪説の徒にたいし、あれほど雄弁に答えることもできなかったでしょう。
 それからヒエロニュムスに言われていたなら、どうでしょう? もっともかれ自身、そういうことを〔夢のなかで〕言われたと想起しており、めざめてからもそれを信じさせようとしています(20)。しかしかれが、詩歌や哲学や弁論や歴史の書物からすっかり離れてしまっていたなら、どうでしょう? かれはけっして、ヨヴィニアヌス(21)その他の異端者の邪説を、あれほど説得的に容易に論破しはしなかったでしょう。けっしてネポティアヌス(22)を、その生前にはあのように教育し、死後にはあのように追悼することはなかったでしょう。さらに、自分の書簡や著書をあれほど雄弁の光で満たすことも、けっしてなかったでしょう。個別的真理が真理そのものに由来するように、洗練された美しい言語表現というものは、雄弁以外のどこに求めるべきでしょうか。雄弁が詩人や弁論家に固有のものであることはヒエロニュムス自身も否定しなかったし、論証を要しないほど周知のことです。

キリスト者と文学研究

 ぼくは問題を個別に論じることはしないで、要約して述べましょう。――
 きみが老年になってからこの研究に打ちこむのならともかく(なにごとも適切な時期になさねば成果が少ないのです)、少年期から学んで精通したこの研究を老年においても慎重に利用することを、なぜ禁じられるのかわかりません。くりかえしますが、事物の認識や生きかたや雄弁のために、さらにはわれわれの宗教を擁護するために、この研究から何をひきだせるかをきみは知っており、前記の人たちがどうしたかをも知っているのに、そのきみがなぜ禁じられるのでしょうか。さらに、女たらしのユピテル〔ゼウス〕、女衒[ぜげん]のメルクリウス、殺戮者マルス、略奪者ヘラクレス、もっと罪の軽い連中を挙げるなら、医術の神ヴルカヌス、さらに織布の女神ミネルヴァから何をまなぶべきか、これに反し、聖母マリアにたいしてはどうするべきか、その御子[みこ]である救い主、われわれの真の神にして真の人間[ひと]にたいしてはどうするべきかをも知っているのです。
 キリストの御名[みな]を聞いたことも書いたこともない〔異教の〕詩人や作家を避けるべきであるなら、キリストを名ざしで攻撃している異端者たちの書物を読むのは、はるかに危険ではないでしょうか。ところが真の信仰の擁護者たち〔古代末の護教家や教父たち〕は、そのような書物をひじょうに熱心に読んでいるのです。
 いいですか。遅鈍や怠惰のせいなのに慎重さや思慮深さのせいにされることも多いものです。人びとはよく、自分が望みえないことを軽蔑します。自分が修得できなかったことにケチをつけ、自分が到達できなかったところにはだれも到達しえないことをねがうのは、無知というものに特徴的なことです。ここから、知らないことがらについての[ゆが]んだ判断が生じます。そこでは、判断者の盲目にも劣らず嫉妬が顕著です。

(18)
ラクタンティウス(250頃―325頃)は偉大な護教家。主著は『神学教程』(Divinae Institutiones)全7巻。

(19)
ユリアヌス(386−454)はペラギウス派のすぐれた理論家。アウグスティヌスは晩年、かれにたいする論駁書を4冊書いた。

(20)
ヒエロニュムス『書簡集』第22書簡30。ヒエロニュムス(347−420頃)は偉大なラテン教父のひとり。

(21)
ヨヴィニアヌスは4世紀のキリスト教神学者。その説は390年のローマ公会議で異端とされた。その後ヒエロニュムスは『ヨヴィニアヌス論駁』を著わす。

(22)
ネポティアヌスは4世紀の人。かれが聖職者になったとき、ヒエロニュムスは聖職者の義務について書簡を書き送り、かれが亡くなると追悼文を書いてかれをたたえた。

文学研究の勧め

 われわれは、美徳の推奨とか、死が近いという口実とかによって文学から離れるべきではありません。文学は、良き魂に受けとられると、美徳への愛をかきたて、そして死の恐怖をとりのぞき、あるいは減少させてくれます。文学をすてることで、知恵にたいする不信心の疑惑をまねかないことを!
 まことに文学は、品行方正な人によって修得されると、邪魔にならないで助けになり、人生の歩みを妨げないで推しすすめてくれます。これは食べ物においても生じることで、多くの食べ物は、嘔吐しやすい虚弱な胃には負担になりますが、消化力のある丈夫な胃には栄養になります。これは研究においても見られることで、虚弱な精神にとっては有害な多くのものも、鋭敏で健全な精神にとっては有益です。いずれの場合にも、節度の力がはたらくなら、とくにそうです。
 でなければ、多くの人が最晩年まで粘りづよくつづけた熱心な文学研究も、あまり誉められたものではないでしょう。たとえば大カトーは、すでに老年に近づいてからラテン文学をまなび、すでに老人になってからギリシア文学をまなびました。ウァローは、いつも読書し著述しつづけて百歳に達し、こうして研究熱よりもさきに生涯を終えました。リウィウス・ドルースス(23)は、老齢と盲目に苦しみながらも、国家公共のために市民法の有益な解説をやめませんでした。アッピウス・クラウディウス(24)も、おなじ不便に苦しみながらも、おなじ粘りづよさをしめしました。
 ギリシア人のあいだでは、ホメロスが、おなじ不運に遇いながらも、べつの分野においてではあれおなじく傑出し、ひとしく熱心な活動ぶりをしめしました。ソクラテスは老齢になってから音楽を習いはじめました。クリュシッポス(25)は、壮年期のなかばに着手した才気あふれる作品を、最晩年になってやっと完成しました。イソクラテス(26)は九十四歳で弁論を書き、ソフォクレスは百歳ごろ悲劇作品を書きましたが、いずれもひじょうにすぐれた作品です。大きな研究愛のゆえに、老カルネアデス(27)は食事を忘れ、アルキメデスはいのちを顧みませんでした。おなじ研究愛のゆえに、ギリシア人ではクレアンテス(28)が、はじめは貧困と、のちには老衰と戦い、ラテン人ではプラウトゥス(29)が、同時に貧困および老齢と戦いました。〔ギリシアの哲学者たち〕ピュタゴラスやデモクリトス、アナクサゴラスやプラトンは、多くの人のように所有欲にかられてではなく見聞欲にかられて、危険や苦難をかえりみず、あらゆる土地、あらゆる海に出かけました。しかもプラトンは、すでに高齢でありながら、まさに自分の最後の誕生日に、読書をしながら、あるいは別の言い伝えでは著述をしながら、哲学を愛するその精神を離脱させました。フィレモン(30)も、読書に没頭し内省にふけりながら、友人たちが待っているあいだに、詩歌を愛するその魂を離脱させました。ただしこれについては、べつのおかしな[うわさ]も伝えられています。そして最後にソロンです。ぼくはたびたびこの人の名をあげてきましたが、かれはいつも何か新しいことを学びながら歳をとり、亡くなりました。死さえもかれの高貴な学習欲を消滅させはしなかったのです。
 この種の無数の事例はさておき、ぼくらがあやかりたいと願うわが父祖たち〔ラテン教父たち〕もみな、文学研究のうちに全生涯を費やさなかったでしょうか。文学とともに歳をとり、文学とともに死ななかったでしょうか。こうして、かれらのうちのある人たちは、読書をしながら、あるいは著述をしながら、最後の日を迎えたのではないでしょうか。世俗的文芸に造詣が深いということは、ぼくの知るかぎりでは前記のヒエロニュムスひとりを例外として、だれにも罪とはされませんでした。いな、多くの人には名誉であり、とりわけきみにはそうでした。
 ぼくも知っていますが、聖ベネディクトゥスは、孤独愛や厳しい修道生活への愛ゆえに、所期の研究をすてたとして大グレゴリウスの賞讃をうけました(31)。しかもベネディクトゥスは、韻文学だけでなく、あらゆる文学をすてたのです。しかしかれの賞讃者は、そのとき同じことをしていたら、賞讃されたでしょうか。けっしてそうは思いません。
 じつは、学んだということと学ぶこととは別なのです。少年が望みをすてるのは、老人が有益な所有物をすてるのとはちがいます。少年は障害をすて、老人は栄誉をすてるのです。少年は労苦をすて、成果の不確かな研究をすてるのですが、老人のほうは、労苦のもたらしたこころよい確かな成果をすて、研究によって得られた貴重な文学的財宝をすてることになるのです。

(23)
リウィウス・ドルースス(前91年没)。かれは護民官となり、多くの法案を作成・提案して非市民の利益をはかり、さらに非市民のあいだにひろくローマ市民権をあたえようとしたが、反対派によって暗殺された。

(24)
アッピウス・クラウディウス・カエクス(前4〜3世紀)。ローマの政治家、著作家。名門の出でありながら、開放奴隷や非土地所有者の権利の伸長に努めた。アッピア街道の建設者としても知られる。

(25)
クリュシッポスは前3世紀のギリシア人で、ストア派の哲学者。数百巻の著作があったといわれるが、ほとんど失われて断片のみ現存。

(26)
イソクラテス(前436−338)は古代ギリシアの弁論家で、傑出した弁論術教師。

(27)
カルネアデスは前2世紀に活躍したギリシアの著名な哲学者で、晩年には失明した。

(28)
クレアンテス(前331−232)はギリシア人でストア派の哲学者。

(29)
プラウトゥス(前254頃−184)はローマの喜劇作家。

(30)
フィレモン(前361頃−262頃)はギリシアの喜劇詩人。

(31)
大グレゴリウス『対話』第2巻序。

文学的素養と聖性

 では結論を申しましょう。
 ぼくの知るかぎりでは、文学的素養なしに最高の聖性に達した人はたくさんいますが、文学的素養のゆえに聖性から閉め出された人はひとりもいません。もっとも使徒パウロは、文学に熱中して頭がおかしくなったと非難されたそうですが(32)、この非難がどこまで当たっているかは周知のことです。むしろ――率直に私見を述べさせてもらいますと――無知をつうじて美徳にいたる道は、おそらく平坦ではあるが怠惰な道です。あらゆる善き人たちの目的はひとつですが、それにいたる道は多く、それをめざす人たちも多様です。歩みのおそい者、はやい者。闇のなかを歩む者、光のなかを歩む者。低きにとどまる者、高きにいたる者。かれらの旅はみな、たしかにどれも幸福な旅ですが、光に照らされて高くのぼる旅ほど、それだけ栄光ある旅なのです。それゆえ純朴さというものは、たとえ敬虔な純朴さであっても、文学的素養のある敬虔にはくらべるべくもありません。文学的素養なき多くの人たちのなかから、だれかひとり聖者をとりだして示してください。そうすればぼくは、ほかの一群の人たちのなかから、もっとすぐれた聖者をとりだしてみせましょう。
 しかしかれらについては、ぼくは話題にうながされてたびたび語らねばならなかったので、きょうはこれ以上きみに話すのはやめましょう。

友情の提案

 もしもきみがきみの意図に固執するのなら、すなわち、ぼくらがとっくに卒業したこの研究〔韻文学〕をすて、きみの示唆するところではあらゆる文学を放棄するという意図に固執するのなら、そのうえ蔵書を小売りして文学研究の手段そのものまでも放棄したいと欲し、こうすることをすっかり決めてしまったのなら、その購入者としてこのぼくを、だれよりもさきに選んでくれたことに感謝します。ぼくが書物に貪欲なことは、きみのいうとおりで、ぼくも否定しません。たとえ否定しても、ぼくの著作そのものによって反証されるでしょう。
 ぼくがすでに所持している書物をも買いとることになりそうですが、これほどの人物〔ボッカッチョ〕の蔵書があちらこちらに分散するのは[いや]ですし、あるいは、よくあるように、文芸にうとい俗物の手で[けが]されるのも嫌です。そこで、ぼくらはからだこそ二つに分かれていても心はひとつであったように、ぼくらの研究のこの遺産〔蔵書〕も、ぼくらの死後――ぼくの願いを神がかなえてくださるなら――いつまでもぼくらを記念して、どこか神聖で敬虔な場所に、ひとまとめにして保管してもらいたいものです。じつは、ぼくの研究の後継者と期待していた者〔息子ジョヴァンニ〕が亡くなってからは、こうしようと思い決めていたのです。
 書物の値段の決定については、きみは気前よくぼくに任せてくれていますが、ぼくはむろん書名も冊数も価値もわからないので決めることができません。手紙で書物の一覧表を送ってください。ただし、こういう条件で。――ぼくがいつも望んでいたことで、きみもときどき約束してくれたように思われることですが、きみがもし、ぼくらに残されたわずかな余生をぼくといっしょに過ごす気になったなら、きみはきみの書物と、ぼくの集めた書物を、いっしょに見いだすでしょうよ。ぼくの書物もやはりきみのものです。こうしてきみは、きみの書物がすこしも減らず、いくらか増えたと感じることでしょう。

(32)
新約聖書「使徒言行録」第6章24。

ボッカッチョの借金と貧窮

 最後に、きみはぼくも含めて多くの人に借金があるとみなしています。ぼくは自分に関してはこれを否定します。そしてきみの良心がこのような、ばかげたとは言わないまでもむなしい気づかいをしていることに驚きます。ぼくはきみにテレンティウスのことばで言い返すことができます。

  なんでもないのに事をあらだてる(33)

 きみはひとつだけ、ぼくに借りがあります。愛情です。いや、これさえも借りではありません。じつはとっくに、きみは借りを完済ずみです。ただし、きみはいつもぼくの愛をうけとるので、いつもぼくに借りがあるというのなら別です。でも、きみはいつもぼくに愛を返してくれるので、なんの借りもありません。
 きみがいつものようにくりかえす貧窮の嘆きについては、ぼくは慰めることはせず、貧乏な著名人たちの事例を列挙することもしません。きみも知っている事例です。それで、ぼくの答えはつねに、はっきりしていてひとつです。――
 ぼくがきみのために遅蒔[おそま]きながら大きな富を世話しようとすると、きみは精神の自由と静かな清貧のほうを選びました(34)。ぼくはこれを賞讃しますが、たびたび友の招きをこばんだことは賞讃しません。ぼくはここに居ながらにしてきみを裕福にできるほどの者ではありません。もしそうだったなら、ことばやペンによってきみに語りかけるのではなく、財貨そのものによって応えたでしょう。しかし、ぼくは独り暮らしとはいえ、ひとつの心をもつ二人がひとつ屋根の下で暮らすには充分すぎるくらいのものはあります。きみがぼくを[いと]うなら、ぼくを傷つけます。ぼくを信頼してくれないなら、いっそう傷つけます。さようなら。

パドヴァ、〔1362年〕5月28日。(『老年書簡集』第1巻5)

(33)
テレンティウス『アンドロス島の女』第5幕第4場941。

(34)
1361年秋、ペトラルカは教皇書記の地位を提供されたが、固辞。自分のかわりにボッカッチョかネッリを推挙するつもりで、ふたりの意向を手紙でたずねた。ネッリは受諾の意向をつたえてきたが、ボッカッチョは辞退した(『老年書簡集』第1巻4)。


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